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晴れたら自転車、雨ならブルースにしよう

play loud, ride hard, live strong and pray in silence.
いやもう晴れてもブルースな感じではあるけども。
毎週火曜日更新!Tele Tuesday、渡辺こうじのアレやコレ。
8 years

*不規則ですが3/11につき今週は月曜の投稿です。

 

8年が経ちました。

週末ライブもなかったしこんな日なので、久しぶりに震災関連の記事を読み返したりしていました。

宮城県亘理町でのこと、派遣から1年後の再訪まで

http://bluecozy.jugem.jp/?cid=3

(10回分、個人的なことばかり少し長いですが良かったら読んでみてください。) 

 

ほかに亘理町、仙台での演奏の様子は2012.7.14の記事に上げてあります。いま思い出してもすごい熱量だったな。

Youtubeへのリンクもあるのでこちらも良かったら。

FBにしか上げませんでしたが数年後にも寄ってみました。

しばらく行けてないですが今でも毎年、亘理でとれたイチゴが送られてきます。

震災後間もなくは塩害で土がダメになり遠くから真水を運んできて栽培されていたものが、

土が戻りどんどん甘くなってきたのは身体で感じる復興の味ですね。

こちらからは岐阜代表としてさのっち農園の富有柿を送っています。

 

被災直後に実際にその地に身を置きどっぷり関わったのはわずか3日間でしたがここから始まり今に至る一連の出来事は自分の生活を大きく変えました。ここで文字にするのはとても難しいけど、たとえば音楽や仕事の意味においては深さの次元が激変したと感じています。もしかしたら人生観や死生観も。

 

あの時お世話になった仙台Heavenはなくなっちゃったけど、いつかきっとまた行きます。東北。

 

=======================================

web site開設しました!

渡辺こうじ/Cozy WATANABE 

ライブ情報は下記で更新中です、今後ともよろしくお願いいたします!

https://bluecozy.amebaownd.com/pages/1645655/schedule

★名古屋Otis'は3/30、大阪シカゴロックが4/28、浜松ビスケットタイムは6/15、そしてSoy Soulsの次回が6/23 マジックアイランド、そして仁田豊生とのデュオが7/21昼に決まりました。

プロ系ではichiroが5/4、小出斉さんが6/18、また他にもYu-kiちゃんや理恵ちゃんとの、自分が唄わないライブもたくさんありますがどれも自信を持ってお勧めできる素敵ライブです。

________________________________________

●3/16(土) open 18:30, start 19:30-

<Yu-ki and the Mules>

Yu-ki(vo, gt)、渡辺こうじ(gt)、高田敏実(bs)、鈴木学(ds)

Pannonica(岐阜市神田町5-17杉山ビルB1 tel 058-214-8623) 2000円

控えめに言っても超期待の新ユニット。ジャンルは何かと問われましたがどれでもなくどれでもあります。

枠にとらわれようもない、ただただ心地よく切なく暖かいサウンドはリハでも好感触でした。

 

________________________________________

●3/21(木・祝) open 13:00, start 14:00-

<Rie & Cozy>

藤田理恵(vo), 渡辺こうじ(gt) 

jazz GHOST V. (岐阜市長住町2-10-19 tel 080-4545-4823) 入場無料、投げ銭

春秋を分ける日にはいつも邂逅する二人の大好評ライブ、深く楽しくブルースを語り唄います。

豪華素敵なシットインもありますよ!

 

________________________________________

●3/30(土) open 19:00, start 20:00-

<渡辺こうじ & Friends> 

渡辺こうじ(vo, gt)、森正雄(bs)、鈴木学(ds)、皆川トシ(gt) 

Otis' (名古屋市中区新栄2-1-4 松栄ビルB1 tel 052-262-5038) 1000円 

究極にシンプル、究極に濃厚なブルースナイトに胃もたれ注意(笑)!やりたい事だけを存分にやりますよ。

ichiroさんの長年の右腕、トシくんの参加が決まりました!

 

| 2011.3.11 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
亘理町のいま・・・2012年7月
今回は分刻みスケジュール(笑)だったのでゆっくりすることが出来なかったのが心残りではありますが・・・

「よく見て、伝えて下さい。」
東北の人々が言葉少なにしかし何度も朴訥と、何を要求するでもなくただ伝えて欲しい、忘れないで欲しいというこの現場をまた、訪ねて来ました。
比較のために過去のものも合わせて掲載します。
---------------------------------------------------------

2011.3・・・粉々になった家、家財道具に混じって写真や玩具など直前までの生活を思わせる物がまだいっぱいありました。一つ一つが何か語りかけてくるような気持ちがします。


2011.3・・・車をこうまで変形させるエネルギー、草木が津波の方向を教えてくれます。


2011.3・・・荒浜中学校。3階まで水が来ました。

******
2012.7月現在の荒浜中学校です。瓦礫がなくなり、家もなくなりました。何もない。

2012.7・・・見覚えのある建物も少しだけ残っています。周囲は一見のどかな草原のよう。
しかしここが住宅地だったことは足元を見ればすぐに分かります。

2012.7・・・積み上げられた瓦礫はまだありました。右端は唯一津波に耐えた大きな建物。

いちごハウスが少しずつ復活しています。
遠くから使える土を運んで、ゼロ以下からまた頑張っています。

この地にはまだ500を超える仮設住宅があります。
墓地に立ち並ぶ墓石はどれも黒く光る綺麗で新しいものでした。
これがとにかく、今の現実です。

また来る。そう書くと実行しなくてはいけなくなりますが、また来ます。
それまで元気で、ありがとう亘理。
| 2011.3.11 | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
亘理町からもういっこ
(参考記事:2011/ 3/28, 3/31,  4/1, 4/4, 7/28, 7/29)

少し前になりますが、亘理町の保健師・岡元さんから近況報告とともに広報や亘理町で出版された重厚な写真集を届けていただきました。






津波被害の甚大さや悲惨さはもちろんですが、その後の立ち上がりがまさに生活の一部として伝わってきます。一言で言ってしまうならやはり復興作業なのでしょうが、実に多岐に細部にわたり多くの案件を地道に改善・解決しようとしている様子がよく分かります。


そして数日前、折りしもバンドでの東京・仙台ツアーを画策してますよと星野さんにメールを出したその日に入れ違いでイチゴが届いた事にとても驚いています。

数年は無理だろうと言われていたイチゴ栽培ですし、被害に遭わなかった地域で採れた物かなと思いきや同封のお手紙を読んで二度びっくりです。
以下、星野さんの快諾が得られたので一部ご紹介します。

「震災から早いもので10ヶ月が経ち、ようやくあの時は大変だったよね、と語り合えるようになりました。当時は次々と起こる問題の中で岐阜県医療チームに支えていただき感謝しています。
 亘理町は瓦礫の撤去はほぼ終了し、集めた瓦礫の山を少しずつ処分している状況です。亘理町は早い方で、近隣の市町や仙台、石巻などではまだ全壊した建物があちらこちらに残っています。
主力産業であったイチゴ農家は今年は2割ですが、栃木県の農家から苗をもらい作付けしました。このいちごは星野家の親類の家で作りましたので食べてください。ここのビニールハウスは津波で1mくらい浸水しましたが、ボランティアに瓦礫を集めてもらい、地下水が塩分でやられたため、山の湧き水や川から水を汲んできて作ったものです。育つとはあまり期待してなかったのですがやっと出荷できるようになりました。(中略)
来年度は田畑の塩分がまだ高いので「いちごファーム」という水耕栽培のビニールハウスの大きいのを作り、いちご農家が集団で作付けするそうです。田んぼもごく一部ですが使えるようになります。(中略)
復興までは長くかかりますが数年経てば温泉、イチゴ狩り等できるようになりますので、東北を旅行する際は亘理町へ是非お越しください。(中略)
ラジオ局まだ活動してます。仮設住宅の皆さんも元気ですのでギターお待ちしております。」


「もういっこ」と「とちおとめ」
もういっこは亘理農協で特に力を入れている地域限定イチゴで、酸っぱ目の味と長持ちする品質からお菓子や贈答品にお勧めなのだそうです。
とちおとめは肉厚で甘くて、どちらも旨かったです。マジで。

愛犬タロと格闘する星野さん

全く力みや悲壮感のない淡々とした星野さんらしい語り口なのですが、イチゴをイチゴにするまでにここまでするのかと彼らやボランティアの人達の重ねてきたご苦労が農業に全く疎い僕にでもよく伝わってきます。
そして復興作業に併行して日々の仕事、生活、加えて雪かきを黙々と朴訥とこなしている東北の人々の生活にしばし思いを馳せるインフルエンザな週末なのでした。
(ツアー日程詳細は改めてお知らせしますが亘理町では7/14昼過ぎ頃に、Soy Soulsでライブをやらせて頂きます。)
| 2011.3.11 | 19:00 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
亘理、最終日
宮城3日目、最終日はこれも星野さんの計らいでもう一度亘理町でした。
今回の仮設住宅は、3月に詰めた避難所だった吉田小学校の真ん前にあるグランドに建てられています。

避難所だった体育館。


その向かいに仮設住宅。



仮設住宅の他、あれから入院したり施設に入ったり、直った自宅に帰ったりと皆が様々に動き始めてはいましたが、当時毎日診察室に来ていたお母さんがずっと元気そうになり駆け寄って抱き締めてくれました。
歌えば震災後ほとんど歩かなくなってしまったお爺さんが足でリズムをとって聴いてくれ、別のお婆さんは終始目尻を拭きながら…
来て良かった。何度目かの「来て良かった。」





…復興とか支援とか大上段に構える気はありません、気ままな旅の記録です。
でもなんか、まだ現場ではこんな風に一人一人が一生懸命暮らしを営んでるんだなと感じた事をただ伝えたくて、忘れて欲しくなくて書きました。

| 2011.3.11 | 23:59 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
宮城・亘理町revisited

3月末、医療支援で行った亘理町へ行ってきました。
今回は仕事でなく、とれた夏休みを使っての思い付きです。新しい場所も好きですが再訪も多いですね、飽きっぽくないんです。

行くことをちゃんと決めたのが2日前だったので全くのノープラン、安上がりな夜行バスは満席、華麗に日本の誇る安全第一の新幹線で仙台入りですが、ホテルは満室ゆえカプセルインで荷物はギターと着替えだけと久しぶりにバックパッカー気分です。
突然の訪問にも拘らず当時避難所でお世話になった保健師の星野さんが色々手配してくださいました。
久しぶりの再会でも会うなりふわふわ柔らかな東北弁で和ませてくれましたがその行動力というか段取りの良さには意外な驚きでした。
ご自宅も浸水し2階で生活、避難所生活でなくてもまだまだ元の状態には程遠い現実が厳然と残っている事とそんな時でも(だからこそ)何日も帰宅もできず働いておられた当時の事を今になってゆっくり聞けてしみじみと感じ入りました。


亘理町ではようやく避難所からほとんどの方が仮設住宅に入られました。
色々問題は残っているようですが少なくとも4ヶ月まえから見ると進歩・復興は実感されます。


仮設住宅の集会所に案内され、少し話をしてから歌わせて頂くことに。

Kindhearted Woman, 上を向いて歩こう, 涙そうそう, ふるさと, 君といつまでも,
Sweet Home Watari(Chicago)  など・・・
亘理が誇るバイオリニスト渡辺望くんとの再会・再演もしたかったのですが残念ながら今回は果たせず。しかしとても喜んで頂けたようで何よりです。
というかこうして歓迎して貰える事が嬉しくてたまりません。

記念写真


次には亘理町役場。建物は地震で危険な状態になったため今でもプレハブでの業務だそうです。
右が本来の建物、左がプレハブ役場。


その奥にはこんなスタジオが・・・。

震災を機に地元の主婦や仙台からのお手伝いさんらが立ち上げた災害関連情報を主に放送しています。

元々はただの主婦ですよと笑う吉田さんの上手なリードでほんとによく喋った自分(笑)。
そして一曲、今度はどこかでまったり聴いてくれるお客さんを想定してスライドギターでゆったりと。


そしてあの岡元さんとも再会、

あの頃よりずっとお元気そうな、素敵な笑顔に会えました。
始終気を張り身も心も疲れ果て、5月の終わりになってようやく思いっきり泣けた事をまだまだ山積する問題を抱えながらも笑って話されるのを聞くとこれだけでもここまでまた来た意味があったような気がしました。(6kg痩せた事は素直に喜んでいいのか微妙ですけどね。)

そして最後に被災地を案内していただきました。定点観測・・・
土台はそのままに、瓦礫と呼ばれるようになってしまった家や家財がうず高く積み上げられています。防波堤にするのだとか。



水面の跡を残す体育館、行事予定は3月で止まったまま。


車から生える雑草が月日の移ろいを静かに語り、


放棄の意思を表す赤旗の立つ住居に重機が入り始めています。

そして仙台へ。夜の部はまた後で。
もう2日滞在します。

| 2011.3.11 | 11:49 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
被災地派遣(終)
岐阜に帰り、桜が咲き始めてACのコマーシャルが激減していることに驚いています。
ちなみに、ご心配頂いた放射線被曝についてはこの5日間合計で0.008mSvでした。
僕の日常勤務での被曝は5日間に換算するとおよそ0.3mSvです。むしろ減。著減。

震災発生後からむずむずし、数日後に行動を起こして漕ぎ着けた被災地派遣でしたが実際に僕達が現場に行ったのは発生から3週間後です。電気はもちろん、ほとんどの水も復旧していましたし、毎日毎日決まりごとのように震度3前後の余震はありましたが滞在した地域では建物もちゃんと立っています。
全てのライフラインが絶たれた地獄のような現場で飢えと寒さと戦いながら3日3晩不眠不休で働く覚悟と準備を持って行きましたが、実のところ風呂に入れなかったくらいで他のことには全く不便不満のない、ちょっと気まずいくらい快適な滞在でした。
残念なことにわずかながら体重も増えてしまいました。
そのあたりの苦労話を期待されたとしたら謝りたいくらいです。

じゃ精神的に辛かったのか、と言われればそれも違うし楽しかったというのもまた違う。
なんともすっきり整理のつかない気持ちのまま、しかし明日からまた始まる日常生活の前に書いておこうと思いながら。

病や死、悲しみや苦しみはどこにでもあります。ましてこの仕事をしていればそれと対峙するのは特別なことではなくむしろ日常。こういうことに過剰な思い入れはとても危険であることも知っています。
僕自身も、出発の2日前に祖母を亡くしました。95歳の大往生で、暖かいベッドの上で安らかに逝きましたが深い悲しみに変わりはありません。

それでも診療室にはわんさか患者さんが押しかけて、何の検査もできない中で必死な診療をしなければなるまいと思っていましたがそれも拍子抜けなくらいで、診察数は一日あたり35人前後。普段の方がよほど多忙です。
疾患も、瓦礫となった自宅の整理が始まっていたこともあり埃を吸った結果の咳が特に多く、他には持病の管理など病状としては軽いものが殆どでした。

しかし眠れない、動悸がする、血圧が上がった、などの訴えはやはり多く震災の影響を感じずにはいられません。
避難所にいるので当然その家は何らかのダメージは受けているのですが普通に元気そうに話している人でも、何度も顔を合わせて話しているとだんだん2歳の孫を目前で失ったこととか片親がまだ見つからないこととかが分かってきます。
そんな人にかける言葉の正解は、最後まで分かりませんでした。
幸い時間はゆっくり取れるので、ただ話を聴いてそばにいるだけです。


でも時期的に、こういうケアが必要になってきているのでしょう。
同じ目的を持ってそれぞれの領分で頑張っている人たちともたくさんたくさん出会いました。


チームのメンバーは安心してそれぞれの仕事を任せられ、完璧にこなしてくれました。
次があっても同じメンバーで行きたいと思います、感謝。
被災しても前を向いて生きていこうとする彼等と、それを当たり前のようにサポートする皆との出会いに感謝。
残る自分の分も頑張って、と応援してくれた皆にも感謝。
宮城を離れるときが近づきやたらと泣けてきて、帰りたくねぇと呟いたときに「こっち(岐阜)にもアンタがいないと困る人が結構いると思う」などと呼び戻してくれた友人達、黙って見守り待っていてくれた大切な人達に感謝。

たったの3日間、何もできなかったとは思いませんが十分できたとも言えません。
もう少し時間をかけて、一人ひとりの話をもっと聞いて、人と町のこの先を見届けたいという思いが残ったのは確かです。威張れるようなすごいこともしてません。何も特別なことはしてないのです。
ただ、自分も行きたかったのに行けなかったたくさんの人達にこの貴重な体験が少しでも伝われば、と思ってできる範囲で文章にしてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

一日くらい休みたいと思ったのですが容赦なしです、明日から通常勤務。
また自転車とブルースの日々。でもいつか遠くない将来、必ずかの地へまた行きます。
| 2011.3.11 | 02:54 | comments(19) | trackbacks(0) | pookmark |
被災地派遣 演奏・のぞむ君のこと

今回の派遣でギターを持っていくかどうか。医療支援ですからね、ひじょーに迷いました。
是非持って行け、と多くの友人に勧められ(煽られ?)たものの現場がどんな雰囲気なのか、全く分かりません。
何しに来たんだ、空気読めよ。みたいな事にもなりかねませんし自己満足で終わったり押し付けがましいことはしたくありません。
第一車内は医薬品と生活品、救援物資でただでさえ身動き取れない状態です。
(実際、ある日にはvo,key,baでのユニットが演奏しにきましたが大きなアンプやPAシステムを持ち込んで大音量でどうだと言わんばかりに演奏し、終わったらさっと帰っていったのを見てちょっと複雑な思いも抱きました。)

しかし最終的には、チームのメンバーが是非持って行きましょう、と言ってくれたので言葉に甘えギターも無理無理車内に突っ込んだ訳です。まぁそういう空気じゃなかったらそのまま持って帰れば良いのだから。

で、岡本さんはじめ現地で活動しておられるスタッフにおずおずと相談したところ誰に聞いても是非やって欲しいとの暖かいお言葉を頂き勇気付けられました。
一人にでも「えっ、まじで?困ったな」みたいな顔をされたら出来ないくらいおそるおそるだったのです。

しかもそこで働く現地ボランティアに同じ考えとバイオリンを持ってきた19歳の青年がいましたので一緒に演奏させていただくことになりました。
渡辺のぞむ君。コンクールで東北No.1になったこともある名人で現在は関東の音楽学校で音楽療法を学ぶ、これまた底抜けに優しい青年です。物凄い技量を持ちながら、プロで有名になることより音楽療法を志すのもとても彼らしい選択だと感じさせる青年です。


聴きたくない人もいるだろうから片隅や廊下か外でひっそりやりますと言ったのですが却下されました。もちろんマイクもアンプもなしで、しかし真摯な気持ちで(いつもそうですけど)。


右のおばあちゃん、演奏の後に震える手で書いた長い長い感謝のお手紙をくれました。宝物です。

またある人は、地震の二日後まで建物の屋上に孤立していた一人です。
その日の午前中に診察室では「いまでも何度も何度も足元まで来た津波の夢を見る」と泣いていましたが演奏の後には「ありがとう、夢のようだった」と泣いてくれました。
今夜くらいはいい夢で朝まで眠れますように・・・。


広い体育館なのに、後ろの方まで静かに聞き入って下さいました。

のぞむ君。弾けばバイオリンの音はかつて聴いた事もないほど澄んで優しく、歌えばそのソプラノは天使そのものでした。一緒に演奏するのがはばかられる程でしたが、多分邪魔はせずにすんだと思います。
というか年齢も得意ジャンルも全く異なるのに、とても心の通じる共演者でした。まるで長年一緒に演奏している岐阜の仲間達のように。

演奏後、日経新聞の記者さんが取材に来てくれましたが翌日の朝刊には載っていませんでした。没稿だったかな、残念。

=set list=

over the rainbow
椰子の実
whole new world
涙そうそう
stand by me, stand by you
ふるさと

・・・彼は帰省中にこの震災に遭い、直ちに春休み期間を全てボランティアに投入しています。実家は無事だったものの家ごと流された叔父さんが未だに行方不明だそうです。
一体なぜ彼はこうも優しく強いのですか。
一体なぜこういう事が起こるのですか。

忘れられないライブのひとつとなりました。
こちらこそ本当にありがとう。

| 2011.3.11 | 01:01 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
被災地派遣 被災地のこと(写真追加)
僕の来ている亘理町は、海側の平らな地域と、山側のぐっと坂を登った高い地域とに高速道路のある堤で東西に分けられ、宿泊所兼夜間診療所の亘理町公民館や、避難所の吉田小学校は後者に入っています。

西側では外から見て分かる被害は崩れた瓦くらいで、人と接しなければ被害の大きさもあまりピンときません。

是非見ておきたい反面、仕事でもないのに被災地(本当の意味での)に行くのは躊躇していましたが岡本さんはじめ、多くの現地の方々に是非じっくり見てきて体感し、周りの人に伝えて欲しいと言われました。

一本道を緩やかな坂を下りながら海岸へ向かいます。するとまだ海岸など全く見えないうちから路肩に泥が溜まっており、いかに海岸線から奥まで水が来ていたかを感じました。
さらに下り、高速道路の堤防をくぐると拡がるのは凄惨としか表現のできない世界でした。

たくさんあったはずの家々の九割近くが基礎だけ残してなくなっています。いまでは瓦礫と呼ばれるようになってしまった柱や壁が山になっています。
所々に玩具や手書きのノート、写真など持ち主の生活を思わせるものが散見されます。

持ち主達がいま元気にしているのかは分かりません。家が流されたと苦笑いしながら元気に力強く生きている人達もたくさんいます。
しかしどうであれ、そこからむんと沸き上がってくる生活の匂いが眼の裏あたりに入りこんで離れません。

写真は報道で、散々見てきて予想はついていたはずですがやはりそのただなかに身を置くと言葉が出ませんでした。
なので今回はたくさん写真は撮ってきましたが公開ナシにしてみました。
・・・と、思いましたが気が変わりました(笑)。一枚だけ載せます。
説明は要りませんね。というかできません。


10歩あるく度に不意に涙がこぼれそうになり、帰り道は四人とも全くの無言でした。
一生忘れない光景です。
必ず、何年か経ったらまた見に来ようと思います。

| 2011.3.11 | 00:10 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
被災地派遣 岡本さんのこと
rps20110331_185559.jpg
到着した僕らを、初めて聞く柔らかでこの上なく優しい東北弁で迎えてくれるのが岡本さんという50歳くらいの女性、保健師さんです。
3/11以来ずっと休む事なく医療機関と現地の連絡調整、仕事の内容の伝達から患者さん個々の大小様々な問題のケアまで気を配る仕事をされています。

有名な人が取材を従えてパッと派手なパフォーマンスをしてピュッと帰っていくのもいいけど、本当に必要なのはあなた達のように継続した(僕らは交代でひとつの診療所を運営している様なものなので)支援なのですよ、と言われたった3日で何ができるかという漠然とした不安を軽くしてくれました。

かなり疲れは溜まっているであろうにいつまでも聞いていたくなるような東北弁サウンドでよく話してくれる岡本さんに本当に頭が下がる思いでした。

そして翌日、避難所でそんな風に、派手でもないしきっと誰にも知られる事もないであろうしかしとても大切な裏方仕事を黙々と延々と、しかも好き好んで続けている人々にたくさんお会いする事ができました。ヒーローなどと呼ばれる事もなくそれも望まずただ当たり前の事のように動き続ける人達の事を少し知って貰えれば、と思って書いています。

そんな彼らの努力の結果、いまでは避難所になっている体育館ではラジオ体操や換気、掃除が日課になっておりとても衛生的で活気もあり、良いコンディションが保たれているように見えました。
| 2011.3.11 | 19:38 | comments(8) | trackbacks(0) | pookmark |
被災地派遣 day 1
rps20110331_005323.jpg
7時に出て新潟経由で宮城県亘理(わたり)町に着きました。激しく揺れたであろうに建物は意外なほどダメージを受けていません。

しかし自衛隊など災害派遣が多い事と、閉まっているコンビニ(って見たことないぞ)が多い事、それに民家の電気が殆ど点いていない事には違和感を感じます。

雨ではありますがあまり寒くはありません。今日は避難所も被災地も行かず、宿泊と夜間診療所を兼ねた公民館に直行しました。

写真は夜間診療所兼寝室です。

これまでのところ、羽島よりずっと楽なくらいです。
しかし、来られる患者さんは一様に疲弊した顔つきをしてました。

明日から避難所へ入ります。
| 2011.3.11 | 01:06 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |